喜多方ラーメン

喜多方ラーメン

喜多方ラーメン, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=136538 / CC BY SA 3.0

#東北地方のご当地ラーメン
#福島県の麺料理
#喜多方市
喜多方ラーメン(喜多方市) 「喜多方ラーメン坂内(ばんない)」蘇我店(千葉県千葉市中央区)。
喜多方ラーメン(きたかたラーメン)とは、福島県喜多方市発祥のご当地ラーメン(ご当地グルメ)である。
2006年(平成18年)1月の市町村合併前の旧喜多方市では、人口37,000人あまりに対し120軒ほどのラーメン店があり、対人口比の店舗数では日本一であった。
札幌ラーメン、博多ラーメンと並んで日本三大ラーメンの一つに数えられている。
スープは醤油味の透明な豚骨スープが基本で、あっさりした味わいである。
豚骨のベースと煮干しのベースを別々に作り、それらをブレンドしたものを提供する店もある。
醤油味がベースだが、店によっては塩味や味噌仕立てなど千差万別である。
麺は「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、幅は約4mmの太麺で、切刃番手は12番および14番が使われる。
独特の縮れがあり、食感は柔らかい。
具はチャーシューを主として、ねぎ、メンマ、なるとなどが一般的な構成である。
1927年(昭和2年)、「源来軒」創業者の潘欽星/藩欽星(ばん きんせい)(1904年~1993年)が、中華麺に近い「支那そば」を打ち、屋台を引いたのが原点である。
その味は市民生活に浸透していくこととなった。
潘は中国・浙江省出身で、大正末に日本で働こうと渡航してきて、喜多方で中華麺の製造・販売を始めた。
その後、潘の「楽天支那そば」作りのノウハウを継承する人間が増え始め、「満古登(まこと)食堂」「坂内(ばんない)食堂」など市内の多くの「食堂」が「支那そば(中華そば)」をメニューに出すようになった。
このような流れから、現在も市内の多くのラーメン店が「○○食堂」という屋号を使っている。
喜多方市の観光の原点は「蔵」から始まる。
市内の写真館「金田写真荘」の金田実が四季を通して蔵の写真を500枚ほど撮り、その写真展を東京で開催したことで「蔵のまち喜多方」が浸透した。
そのような流れの中、1975年(昭和50年)NHKが『新日本紀行』で、蔵と人々をテーマにした「蔵ずまいの町 福島県・喜多方市」を放送したことで、喜多方を訪れる観光客が年間5万人から1983年(昭和58年)には20万人に急増した。
一方で観光収益の増大のためには、観光客の滞在時間の増加が課題となっていた。
1982年(昭和57年)頃、市の商工観光課の職員は、団体の観光客の滞在時間増加を図るため、団体客のための昼食場所を探し始めたが、市内の日本料理屋には団体客を受け入れるスペースなどがないことから、ラーメン店に目をつけ、団体客用の昼食場所として観光業者に紹介を行った。
市が紹介したラーメン店は「まこと食堂」であったが、1杯数百円の安い値段のお店を昼食場所に紹介することに一抹の不安もあったことから、民放の関係者を「まこと食堂」に連れて行き、意見などを聞いたところ「まこと食堂」のラーメンが特徴的であるとのことから、民放のテレビ番組に取り上げられることとなった。
1983年には福島県観光連盟の仲介で、日本交通公社(現JTB)の雑誌『るるぶ』で観光宣伝を仕掛け、PR記事1ページ分に喜多方ラーメンが紹介され、更に、NHKなどでも取り上げられたことから、喜多方ラーメンが全国的によく知られるようになった。
1987年(昭和62年)、喜多方ラーメンがブームとなり一定の知名度を確立したことを受け、食堂(ラーメン店)・製麺業者・市・商工会議所が参加した、ラーメン関係業種懇談会が開催された。
同会にて、ラーメン店のレベルアップ、伝統(太麺、平打ち、縮れ麺)の継承等を目的として「ラーメン会」の組織立ち上げが検討され、1987年3月4日、喜多方市の観光PRの一環として同業者団体「蔵のまち喜多方 老麺会(くらのまちきたかた らーめんかい)」が発足した。
発足当時は任意団体であったが、活動の強化を図るため、2005年(平成17年)8月に協同組合へと組織変更されている。
喜多方市内(駅前、市役所、北町、三津谷、上三宮、熱塩加納周辺)に存在する店舗のうち、店先に「蔵のまち喜多方 老麺会」と描かれた紺色のノボリを設置している店舗が「老麺会」に所属している店舗であり、2015年10月時点で45店舗が所属している。
老麺会では不定期に『老麺会まっぷ』を発行している。
これは老麺会に加盟する店舗を地図にまとめたものであり、観光PR用として老麺会に参加する店舗等において無料配布されているほか、老麺会の公式サイトにてPDFファイル形式でダウンロ…

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