和歌山ラーメン, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=265605 / CC BY SA 3.0
#近畿地方のご当地ラーメン
#和歌山県の麺料理
#地域団体商標
ラーメン 」 和歌山ラーメン 和歌山ラーメン 和歌山ラーメン(わかやまラーメン)は、主に和歌山県北部で、専門店や大衆食堂で出されるご当地ラーメンである。
店では「中華そば」、略して「中華」と呼ぶのが一般的だが、一般的にはラーメンでも通じる。
味は一般に豚骨醤油味と呼ばれるが、大きく分けて2つの系統がある。
また、他にも食べ方、店での応対など他の地方には見られない風習が多く、1つの地域文化を形成している。
和歌山、特に中心となる和歌山市では、戦前からラーメンが食されていたと言われており、井出商店の井出つや子は、昭和8年には中華そばの屋台があったと発言している。
戦後は、屋台のラーメン屋が多数軒を連ねた。
これは和歌山が湯浅などの醤油産地に近いため県民が醤油の味に慣れ親しんでおり、また隣県などからスープの材料となる豚骨や鶏がら、魚介類などを仕入れやすかったためであるとされる。
しかし、和歌山の中華そばは時折在阪メディアに発信されることはあったが、全国に広がることはなく、あくまで地元にとどまっていた。
更に、この「中華そば文化」が和歌山独特のものだとも認識されることはなく、まして、和歌山ラーメンという呼び名も用いていなかった。
この「和歌山ラーメン」という呼び方が使われるようになったのは1990年代後半からで、東京に出店した「まっち棒」が初めて和歌山ラーメンという名称を用いたのが始まりである。
そして1998年元日に放映されたTVチャンピオン「日本一うまいラーメン決定戦」で石神秀幸が和歌山市の井出商店を推薦、全国の並み居る強豪店を押さえて優勝した。
更に新横浜ラーメン博物館に臨時出店するなどし、首都圏を中心にして人気に火が付いた。
それにより、テレビや雑誌にも和歌山の中華そば屋が盛んに取材されるようになり、また大手即席麺メーカーからもカップラーメンが発売されたことなどによって和歌山ラーメンという名称が認知されるようになった。
また、この和歌山ラーメンの開拓は、徳島ラーメンや旭川ラーメンなど新たな全国ご当地ラーメンブームの火付け役にもなっている。
2006年10月27日、和歌山県製麺協同組合が地域団体商標制度を利用して商標権(指定商品又は指定役務:「和歌山県産のスープ付き中華そばのめん」)を取得している。
和歌山ラーメン 麺は縮れのない(ストレートの)細麺が一般的。
色は黄色い。
一部手打ちの店があるが機械製麺が一般的である。
麺の茹で加減は店によって様々であり、個人の好みで固さを変えることができるので、セオリーが確立されているわけではない。
具は、刻んだ青ネギ、メンマ、チャーシュー(モモ肉)などのほか特徴的な具として蒲鉾、またはかまぼこ型にナルト模様が入った「千代巻」が入る。
これは地元の蒲鉾会社の宣伝活動に起因する。
薬味は基本的に胡椒のみであり、ニンニク、背脂などはまず置いていない。
そしてテーブルに出される前からあらかじめ振り掛けられている店もある。
和歌山ラーメンには大きく分けて、「醤油ベースの豚骨醤油味」と「豚骨ベースの豚骨醤油味」の2つの系統がある。
ただし、正確な表現ではない。
製法は豚骨を鍋一杯の醤油で炊き込み、十分に味が染みこんだ所で豚骨を取り出す。
そしてこの豚骨を炊き込んでスープを作る。
この際に鰹節や香味野菜、鶏ガラなどを合わせる店もある。
また、チャーシューも醤油で煮込み、この煮汁をスープに合わせる店もある。
味は見た目に対してすっきりしており、醤油のコクと香りが引き立つ。
本家は「丸高」という店で、地元にはのれん分けの店舗も含め、大半の中華そば専門店がこのスタイルである。
故に地元の者らが和歌山の中華そばといえば、この味を連想する者が多い。
また、この系統には丸●(●は屋号を示す単漢字)の店舗が多い。
昭和46年まで和歌山市には路面電車が運行しており、拠点だった堀止に路面電車の車庫があった。
(詳細は南海和歌山軌道線の項を参照)車庫の前で屋台営業していたのが「丸宮」(昭和24年創業)で、今は「丸宮」の本店は紀三井寺公園、競技場前に移転している。
このため、分流といえる井出商店の手法(後述)の店舗が少なかったこともあり、武内伸がこの従来の和歌山ラーメンの味に対して「車庫前系」などと呼んでいた。
他にも大衆食堂で中華そばを出す店が多い。
製法は豚骨をゼラチン質が溶け込むぐらいまで煮込み、ドロドロに乳化したスープに醤油を合わせて味を調節していくというものである。
味は前…